ベランダで育てていた家庭菜園に対して、ある日マンションの管理組合から「虫の発生源になるのでやめてほしい」との苦情が張り紙という形で届きました。正直、すごく悲しかったです。
「え?これが今の世の中なのか?」という気持ちと同時に、「共存ってそんなに難しいものなの?」という疑問が強く湧いてきました。
私はただ、ミニトマトやなす、きゅうりなどを少し育てていただけ。毎朝の成長が子どもたちとの話題にもなり、花が咲いたとか、実がついたとか、ほんのささやかな幸せの時間を育てていました。それが“害虫の発生源”と非難されるとは、思ってもいませんでした。
苦情の内容と対応:本当に家庭菜園が原因?
貼り紙に書かれていたのは以下のような内容でした。
- ベランダでの園芸活動は、害虫の温床になる
- マンション全体で虫被害の報告が増えている
- すぐに撤去してほしい
あくまで「家庭菜園=虫の原因」という前提で記載されており、証拠も因果関係も記されていません。
私は少し反抗心を持ちながらも、完全な無視も大人げないと思い、以下のような対策をとりました。
- ベランダの外側(柵際)から内側(窓側)へ移設
- 成長点を刈り取り、これ以上の拡大を防止
- 花が咲き終わったら処分予定
正直、納得はしていません。ですが、「すぐに撤去しろ」という要望には応じず、自分のペースで終わらせる予定です。ここに“気持ち”がある以上、命あるものを唐突に処分する気にはなれません。
家庭菜園が本当に「虫の原因」になるのか?
科学的な視点から言うと、家庭菜園そのものが“害虫の発生源”になるという決定的な証拠は乏しいです。
むしろ、以下のような要因の方がよほどリスクは高いでしょう。
- 放置された生ごみ
- 排水口の詰まりによるコバエ発生
- 植物のない空きベランダに溜まるホコリや枯れ葉
野菜を育てている人は、水やりや剪定をしっかりしており、虫の被害にも敏感です。無管理の空きベランダの方がよほど問題なのでは?とさえ思います。
さらに、家庭菜園の規模はごく小規模。鉢植え数個の環境がマンション全体の虫被害に直結するかどうか、冷静に考えても“微妙”というのが本音です。
現代における“共存”の難しさと、自衛の必要性
それでも「嫌だと思う人がいる」ことは事実です。
現代は、集合住宅での“共存”が非常に難しい時代になっていると感じます。
1. 「無関心」ではなく「過干渉」に向かう時代
少し前まで、近所付き合いの基本は「干渉しない」ことでした。
それが今では、「見ていないと不安」「誰かが勝手なことをしていないかチェックする」という心理が強くなっている気がします。
2. 個人の感覚が“正義”になる
「私が不快だから、やめてください」が正論のように扱われる場面が増えました。
しかし、その“個人の不快感”が、誰かの幸せや楽しみを奪っている可能性もあるのです。
3. 対立ではなく“距離をとる”選択肢も
「だったら戸建てに住めばいい」
正直、そう思う自分もいます。ですが、それは“家庭菜園をする=戸建て限定”という固定観念に縛られた考え方でもあります。
マンションの中でも、心地よく共存できる“中間点”があればいいのに、とつくづく思いました。
家庭菜園がくれた「心の栄養」とこれからの選択
家庭菜園は、ただの趣味ではありませんでした。
- 子どもと育てたミニトマトが初めて実をつけた日の感動
- 毎朝の「水やりしてくる!」という声
- 虫がついてしまっても、「あー生き物も野菜食べるんだね」と話せる余裕
それは日常に豊かさを加えてくれる、かけがえのない時間でした。
家庭菜園を通して、子どもたちの好奇心や自然への理解が深まり、親子の会話が増えました。
それが「虫のせいだからやめろ」と言われたら、やっぱり悲しい。
まとめ:家庭菜園は「余白」のある暮らしをつくる
今回の経験から私が学んだのは、現代の暮らしには「余白」が減ってきているということ。
- すぐに正解を求める
- すぐに他人に干渉する
- すぐに排除しようとする
そのスピードに追いつけない時、人は「居場所を奪われた」と感じてしまうのだと思います。
だから私は、今回の件も「全部やめる」のではなく、「少し距離をとる」対応にしました。
できれば、管理組合の皆さんとも会話ができればよかったけれど、張り紙という一方的な手段に終始していたのが残念です。
私は、これからも静かに、控えめに、それでも“自然を感じられる暮らし”を続けていきたいと思っています。
家庭菜園のある生活。
小さな鉢に広がる大きな気持ち。
窓側の一角でも、心は自然とつながっている。
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